遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

数学教師 サトリ

人間の集中力は90分しか続かない
寺子屋の数学教師、サトリ)

 

f:id:monmocafe:20190511211114j:plain

 

中学2年の2学期から、モンモは家の近くの数学塾に行っていました。
襖を取り払ったニ間続きの部屋に、長机を置いた寺子屋のような塾でした。
というより、実際、お寺の離れを塾にしていたので、本当の寺子屋だったのです。

しかも、先生の名前も漢字は違うのですが「サトリ(悟り)」(笑)というのでした。
モンモの恩師の一人です。

初めてその塾に行ったとき、そこに、クラスで数学満点の常連、ニイダ、ヒノ、ユウキという三人組がいたので驚きました。なんと皆さんお揃いで。

18時から、休憩なしの90分の授業が週に2回ありました。
先生曰く、「人間の集中力は90分しか続かない」

 

授業は、テーマが二つほどに絞られ、授業の流れが決っていました。

①最初に、「今日のテーマは××」と言って、ポイントや定理の証明を黒板を使って説明します。そして、例題を2~3題先生自らやってくれます。それを生徒はただ聞いているのです。
「ノートはまだ取るな。ただ、聞いていればよい。」

②説明が終ったあとに、ノートを取る時間を作ってくれます。

③そして、それに関連する練習問題を教科書から何題か拾って生徒にやらせます。

④終った頃に、先生が問題を解いてみせ、答え合わせを行うのです。
そして、出来たかどうか確認するために、「できた人」と言って、手をあげさせて確認する。

 

授業中、生徒の気を引くような冗談や面白い話しをしてくれるわけでなく、もちろん説教をするでもなく、「公式を暗記して、その運用を訓練する」というスタイルの授業でもなく、特別な教材もありません。
使うのは、教科書と先生自作のテスト問題のみ。宿題も、問題集もありません。
淡々と①~④を90分間集中して行うのです。

よく、人間的魅力を語られるような先生がいますが、そんな感じでもありません。

なんだか、ウェイトトレーニングをコーチのもとで90分やり続けることに似ていました。黙々と「脳」のトレーニングメニューをこなして行くのです。

そして、ときどき自作のテストを行い、答え合わせを行う。
定期的に成績表をもってこさせて、学校の試験結果を確認するのです。

 

ずっと後になって、これがプロの教師なのだな、と思ったものです。
教えるべきポイントとストーリーが全部頭に入っている。
教科書を見るのは、自分が教えているテーマに関する問題を選ぶ時だけ。
だから教科書は、問題を選ぶときしか使わないので、生徒は全く読んでいないのです。そうやって、一年半の授業というよりトレーニングを受けたのでした。

1年ほど経った頃、それまでの成績表を見た先生は、モンモを傍らに呼んで言いました。

「お前は、もう塾に来なくていい」、突然の退塾宣告です。
「えっ、そんな、どーして」と驚きました、高校受験も控えているのです。

が、言わんとすることはすぐわかりました。
お前は、もう塾で学ばなくても、一人でやって行ける、ということでした。
モンモに対する先生の役割は終ったと。

モンモの生活は、論理的に、この寺子屋が中心だったのです。
「お願いですから通わせて下さい」と、無理にお願いして、高校受験まで塾に通わせてもらいました。

受験を前にした、模擬テストのときでした。
具体的な内容は忘れましたが、問題の中に、大きなタンクに水を入れる一方、
タンクの下の蛇口から水を出し、単位時間当たりの水の入出力流量が異なるタンクの、水量と時間の関係式を求めよ、という問題がありました。
水の量を求めよ、でも、時間を求めよ、でもない。

関係式を求めよという当時としては珍しい問題でした。

二度ほど計算しても、変な仮分数(分子に三桁の数字と分母に二桁の数字)が係数になってしまう「美しくない」関係式になるのです。いわゆる「らしくない」答えでした。

でも、計算違いがない限り、論理的にそうなってしまうのですから仕方ありません。
自信がないまま答案を提出しました。

30人ほどの生徒で、この問題の正解はモンモ一人でした。あの満点三人組も全滅でした。とても嬉しかったと同時に、その後の人生の支えとなった重要なことをそのとき学んだのです。

論理的に考えた結果が、たとえ「らしく(常識的で)」なくても、
その論理が正しければ答えは正しい。

これが、プロの教師が数学を介して一人の中学生にもたらした成果だったのです。
そして、モンモにとっては、これが後年、仕事をするうえで、本質的な「生きる力」そのものになったのでした。

一方、中学校での数学の授業のことは、先生の顔も名前も、どんな授業だったかも、全く記憶がないのです。ただ、窓際の後ろの席で、何をするでもなく、所在なげにぼんやりと窓の外を眺めていた記憶だけが残っています。

教科書も、開いていたのか、閉じていたのか、ただ時間が過ぎるのを待って、じっと座っているだけの記憶です。中学校の先生から見れば、授業中ぼんやりとノートも取らずに、窓の外を眺めている一人の生徒にすぎなかったでしょう。

昨今、「生きる力」を学校で教える、ということを聞くにつけ、具体的にはそれはどんなことなんだろうと思い、当時を思い返します。

もちろん、生徒と、塾や先生の教え方に「合う合わない」があるのでしょうが、モンモはサトリ先生との、この偶然の出会いの幸運にずっと感謝することになったのでした。

いくつになられたか、ご存命なら、もう相当に高齢になられています。
できることなら、お会いしてお礼をしたいものだと思っております。
「最後まで、寺子屋に通わせてくれて、ありがとうございました」と。

皆さんにも、そんな恩師がきっといることでしょう。