遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

ダ・ヴィンチ 岩窟の聖母

影は光よりも大きな力を持っている。
何故なら影は、物体から光を禁じこれを完全に奪うが、
光は物体つまり個体から
影をすっかり追い払うことは絶対にできない。
ダ・ヴィンチ


ダ・ヴィンチに『岩窟の聖母』という絵がある。
しかも二枚。
10月1日に、TVでこの絵のことを放映していた。

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ダ・ヴィンチ 『岩窟の聖母』 ロンドン ナショナル・ギャラリー

 

1483年4月にサン・フランチェスコ・グランデ教会ダ・ヴィンチブレディス兄弟との間で1483年12月8日までに完成させるという契約を結んだ。
その契約には、絵に対する注文が色々あり、完成した絵は、教会の望む絵になっていなかったため契約違反だとして裁判になってしまった。

そのため、教会の礼拝堂に飾られるのは、なんと1507年12月8日になってしまったのである。

18世紀後半、教会が取り壊された時、サンタ・カタリナ・ア・ラ・ルオタ病院の礼拝堂へ移され、その後イギリス人で、考古学者・画商のガヴィン・ハミルトンによって、イギリスのランズダウン候へ、候の死後サフォーク伯、そして1880年イギリス・ロンドン、ナショナル・ギャラリーに売却された。

 

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ダ・ヴィンチ 『岩窟の聖母』 パリ ルーヴル美術館

 

もう一枚の絵は、フィレンツェ時代に描き、ミラノに持っていってルイ12世に献上された。大方の専門家の見解は、おおよそこのようなことで一致している。

TVでは、2つの絵の違いについて主に言及していた。
ロンドン版は、絵の中の三人には光輪がある、大天使ガブリエルに羽がある、ヨハネは杖を持っている。
ルーヴル版では、ガブリエルは羽の代わりに赤いマントを着て、ヨハネを指差している。

ダ・ヴィンチが光を研究し始めたのは1487年以降、ロンドン版の方が光の研究のあとが植物の描き方に伺えるので、ルーブル版がその前に制作されたというのだ。

ルーブル版の絵をX線で調査した結果、ガブリエルの顔の向き、鼻に修正が加えられ、手が書き加えられていたことが分かったという。二つの絵は、最初は全く同じだったが、ロンドン版が完成して25年の間に修正されたというのである。

ガブリエルの指は、ヨハネを指差しており、主役が聖母からヨハネに変ったことを示しているという。


何故か。

ルイ12世は、1500年にミラノに侵攻・征服したが、ダ・ヴィンチのファンだった。ダ・ヴィンチは教会と裁判を争っていて、ルイ12世に助力を求めたので、ルイ12世はこの絵の存在を知っている。

ルイ11世の娘ジャンヌ(ラテン語の男性形ではヨハネ)と結婚したが後に離婚。
ダ・ヴィンチに描き直させて、絵の中のヨハネにジャンヌを写し込んだというのである。

だからダ・ヴィンチは、このヨハネに注目せよと、ガブリエルの手を描き加えた。

TVでは、この話は来年発表されると放送していた。
季節は、絵画にとってもミステリーの秋である。

【注】
絵の左が、預言者ヨハネ。右の大人の人物が大天使ガブリエル。
ガブリエルの左が幼児のイエス