ダ・ヴィンチ 受胎告知
レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯 (5)
「悩んでいるときに難しいほうを選ぶ」…
簡単なほうを選ぶと、
見つけられるものが何もないのではないかという気がする…
難しいほうを選んでいれば、自分が確実に成長できるし、
たいていのことは次から楽になっていく。
(吉高まり;環境金融コンサルタント)
ふたつの道があったら困難なほうを選べ。
(アインシュタイン)
1472年、ダ・ヴィンチは、ヴェロッキオ工房の仲間とともにフィレンツェの画家組合「サン・ルカ同信会」に加入するが、その後4年は独立せずに工房にとどまる。
工房で発注を受けた絵などを共同制作していたが、ダ・ヴィンチが単独で描いた初期の絵の代表作として『受胎告知』と『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』がある。
まずは『受胎告知』から。
同時期の『受胎告知』には2つあって、ダ・ヴィンチ作の他に、先にご紹介したロレンッォ・ディ・クレディ作『受胎告知』(パリ ルーブル美術館 1478-85)がある。これもダ・ヴィンチとの共作ではないかとされた時期もあるが、現在ではクレディ作とされている。
ダ・ヴィンチ作となるのは、フィレンツェ ウフィツィ美術館のほうである。
ダ・ヴィンチ 『受胎告知』 ウフィツィ美術館 1472-75
天使の袖によく似たスケッチが残されていることや、石棺が1469年にピエロ・デ・メディチが死んだ時ダ・ヴィンチが担当したとされる石棺のデザインであることから、この絵はダ・ヴィンチ作とされている。
但し、この絵では遠近法はまだ完成されていない。
背景のイトスギの並びは、左側が小さくなっていないと不自然とか、聖書台がマリアより手前にあるように見え、そのために手が触れているようにするには、腕を長く描かなくてはならなかったとか言われている。
とはいうものの、背景の石壁の豪華さ、シンプルで鮮やかな背景、マリアと大天使ガブリエルの画布に立ちあがる存在感、クレディの絵と比較するとその差は歴然としている。
デヴィッド・アラン・ブラウンが言うように「途方もない才能を持ちながら、まだ成熟していない芸術家の作品」として、初めてダ・ヴィンチ単独作品が世に現れたのである。
次回は、同じ初期の作品として重要な『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』について書きましょう。
【追記】『受胎告知』部分拡大(2012.06.05)