遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

グーグル その先の未来

トップダウンからイノベーションは生まれない。
(グーグルの社員)

集団は個人より賢明だ。
(グーグルCEO;エリック・シュミット
「一人の天才よりも、30人の平凡な人間の意見を集約した方が結果としてはいいものができる」


かなり前に読んだ本なのですが、忘れがたい本だったので、NHK取材班 『グーグル革命の衝撃』(2007年)をご紹介しましょう。(記事内容は、2007年当時の内容なので、現在ではふさわしくないかも知れませんがご了承を)

 

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何か調べたいことがあれば、昔は百科辞典やその他の辞書を引いたり、図書館で
参考文献、学会報を調べるしか手がなかった。しかし現代、調べるものがあれば、グーグル等検索エンジンを使って、とりあえずインターネットで調べるのが普通になっている。

グーグルの会社創設の目標は、「全世界の情報を整理し、検索できること」であった。スタンフォード大学院の二人の学生、ラリー・ペイジサーゲイ・ブリンが創設したグーグルはわずか10年足らずで、巨大企業へと成長する。

カリフォルニア州マウンテンビューにあるグーグルの本拠地。
数十棟のガラス張りの低層ビルが敷地にたつ、数千人が働くエンジニアの村。
食事、クリーニング、マッサージ、洗濯室、ドライ・クリーニングはすべて無料。
バレーボール、ソフトボール、テニス、ジム、プール、ビリヤード場が完備され、仕事の合間にプレーしている。

ビルとビルをローラスケート、ローラボード、自転車などで移動する。
テックサポートという部門があって、コンピュータ用品や不具合に24時間対応している。エンジニアの楽園、あらゆる資源、環境が仕事の能率を上げるために作り上げられている。

無料の食事やマッサージなどは、その目的達成のための補助だという。
仕事さえしていれば、どんな風に時間を過ごしても構わない。24時間能力を生かして働いてもらうにはどうしたらいいかという結論が、食事や無料のマッサージ、テックサポートといったことに繋がっている。(広報)

世界有数の大学の博士号をもつスーパエリートが集まり、広報部門ですら、ハーバードロースクール出の才媛達がずらりと並ぶ。
本当に優秀なSEは平均的な人の10倍、100倍も生産性が高い。だから待遇をよくし、仕事をすることを誇りに思うような、働きやすい環境を作ることに努力している。(サーゲイ・ブリン)

【人財】

しかし、ここで働く日本人SEは、言う、
グーグルの最大の魅力は、無料の食堂でも、ビリヤードでもなく、社員同士の議論が徹底的に行われ、これまでに見たことがないような高い能力の人と出会えるところにある。
「普通の会社でも話についていけないようなスーパスターが一人や二人はいるものですが、グーグルにはそんな人がぞろぞろいる」

開発では、上司も部下もなく、アイデアをもっている人に大きな発言権があり、それに対して自由に批評を加えていく。そして、自由だからこそ、「成果」をあげられるかがシビアにみられる。

大学のような自由な雰囲気も、各人に課された大きなハードルの代償か。
自分のテーマを極めることに集中せよ、それ以外はいっさい自由。
昔いた職場の雰囲気に似ている。

雑用を極力排し、創造的な仕事に時間を割く。
上位下達の組織ではなく、チームによる徹底した論議によって物事が進められていくようだ。

「入社一年目の社員でも世界を変えられるのがグーグルだ」(採用面接をしたSE)
入社一年目、グーグルマップに写真を掲載するプロジェクトに参加。2007年春、機能が世に出ると、1秒間で世界中から数万クリックが集まったのを見た日本人SEは、その言葉が真実であることを知る。(インターシップ2006年入社)

曰く、「トップダウンからイノベーションは生まれない

【検索と進化】

グーグルは、検索によってそれに関連する広告を記載し、収益源としている。その先に、個人の検索記録を元に、個人の興味・関心に合った広告を表示し、更にその先に、携帯TEL、IPhoneを通じてGPS移動情報を得て、異動先で「ここのレストランはいかがですか」とTELが入ったりするサービスを考えていた(2007年当時)。

一方、個人のグーグルを通じての検索・サイト閲覧・購入という一連の行動を蓄積し、企業のマーケティングに使ったりすることは是か非か。
現在でも個人情報との関連で議論されている。

個人の記録を企業が長期に渡って蓄え、それを個人に無断で使っていいのか、と。

個人の好みに合った、サービス・広告を提供する。
個人にとって、苦労して探し出すこともなく提供されたサービスを選択すればいい。
グーグルが提供すると「決めた」サービス・広告で誘導すらされかねない。
政治的意図が入り込めば、情報による大衆操作すら危惧される事態になる。

また個人の側も、自分の取引記録や、プライベートな記録までも預け、個人がそれに依存してしまう状況も生まれてしまう。

個人にとっては便利な機能、しかし、人間にとって「それでいいのか」という危惧。
個人の記録(=人生)が外部化され、人間はどんな存在として位置付けられて生きるのか。

人間が情報を捕らえていた時代から、情報に捕らえられて生きる人間という、倒錯した状況が究極的に存在する。

大学生のレポートは、インターネットから入手した情報で「コピペ」され、学生オリジナルのレポートか否か判別が困難で、いわば「コピペ」が常態化しているという。

人間が、考え、苦悩して「知」を生み出してきたのに、「考えざる」「苦悩せざる」「知」の未来はどうなるのか。

世界の情報全てを検索できるようにする、というグーグルの目的。それを実現して行く過程で、明も暗もあるというのは、常に文明の進歩がもたらすメリット、デメリットと同じことだ。

それを知った上で、この「便利な道具」を使っていかなくてはならない歴史的状況に、私たちは置かれているが、こうした状況は、確実に人間のあり方そのものを変えていくような気がする。

大量の情報を、人間の脳から外部化し、装置化する可能性を現実のものとしたこと、高等教育において危惧されている、「コピペ」に象徴される「知の運用と構造化」問題が表出してきたこと。
これらを通じて、人間の脳も変化するであろうこと。

それは進化か、変容か、それとも退化か。

困難に直面してそれを乗り越えようとして、人間の脳は進化してきた。
そして現代、私たちに与えられた過剰な「利便性」。
ならば、脳にとって、きっと進化のトレンドではない別のものが、そこに待ち構えているような気がしてならない。

 

参考;2007年4月、小宮山宏東大総長 「東大入学式式辞」より抜粋

学問的な疑いの直感は、その人の頭の中で多様な知が関連付けられ、構造化されて初めて働くものだ。知を構造化することと、大量の情報をもつことは、まったく異なる。・・

かつて、情報収集にかけた膨大な手間と時間は、無駄なように見えて、決して無駄ではなかった。その作業を通じて、頭の中で多様な情報が関連付けられ、構造化され、それが「閃き」を生みだす基盤となっていたからだ。インターネットで入手した、構造化されていない大量の情報は、「思いつき」を生み出すかも知れないが、「閃き」を生み出すことは極めて稀だ。

頭の中に、いかに優れた知の構造を作ることができるか、それが「常識を疑う確かな力」を獲得する鍵なのだ。