遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

アンティキテラの歯車

ギリシャ人がその知識をさらに進歩させていたら、
産業革命は千年以上早く起きていただろう。
(米国・SF作家 アーサー・C・クラーク

この機械に類した物は、ほかのどこにも残っていない。
私たちが理解していたヘレニズム期の科学技術の水準からすれば、
このような機械が存在するはずはないのだ。
(英国・科学史家 デレク・デ・ソーラ・プライス)

 

1900年秋、ギリシャのマレア岬とクレタ島の間にあるアンティキテラ島に、嵐で船を流された海綿獲りの潜水夫達が、紀元前60-70年頃に沈没した古代ギリシャの沈没船を、水深60メートルの海底に発見した。

1900年12月から、大量の大理石の彫像、ブロンズ製の剣、竪琴やブロンズ像が引き上げられたが、そのなかに小さな木箱に入ったブロンズと木の塊があった。博物館の倉庫に何ヶ月か放置されているうちに木箱の板が乾燥して割れ、中からいくつもの歯車とかすれた古代ギリシャ文字が書かれた小さな機械が現れたのである。

 

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アンティキテラの主要破片(アテネ国立考古学博物館蔵)

 

最初それは時計のようなものと思われたが、西欧に時計が現れたのはそのブロンズの歯車が作られてから1000年以上も後のことであった。

イギリスのウォリンフォードのリチャード(天文学者・数学者)が天文時計を作ったのは1336年、ヴェネツィアサンマルコ広場の時計台ができたのは1500年頃、かのジョン・ハリソンの時計は18世紀に作られたのである。

中世ヨーロッパで時計が作られるようになったのはほぼ15世紀になってからのことなのである。

後に、一緒に引き上げられたアンフォラ土器やコインとの比較や、放射性炭素同位体によって測定された年代は、紀元前一世紀。その時代にはあり得ない精巧な歯車をもった機械だったのである。

時計ではないなら、いったいこれは何か。

 

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破片とX線撮影による内部イメージの重ね合わせ

多くの人々が、この小さな、腐食が進んだ機械に魅せられた。

そのブロンズには星座の横道12宮を示す文字があったことから、その機械は「アストロラ-ベ(星座早見板のようなもの)」、「月」の文字があったことから「天体運行儀(プラネタリウム」、360や30に刻まれた目盛があることから、「太陽と月の暦を計算するもの」、惑星の楕円軌道をどのような円の組み合わせであらわせばいいか知られていたことから、「惑星の暦を計算するもの」と様々な説が唱えられた。

その調査の過程で、この機械を作ったギリシャ人の驚くべき能力が明らかにされていったのである。

例えばこうだ。

人間の目に、月が背後の星に対して同じ位置に戻ったと見える周期は、およそ27.3日(恒星月)。満月から満月までの周期は平均29.5日(朔望(さくぼうげつ))。

ギリシャ人は、月の運行が一年の中にきれいに収まらないが、19年周期で、月が太陽と地球に対してまったく同じ位置に戻ることを知っていた。19年は朔望月235ヶ月にあたり、この間に月は空を254回めぐる。

ギリシャ人は太陽と月の運行を結びつけ、一周期が19年の暦を作り上げ、これをメトン周期と呼んだ。」プライス(この機械を調査した一人、科学史家)は、「この機械の6つの歯車の歯の数から、太陽の運行に合わせて月の運行速度が算出」されたのではないかと考えた。

太陽を入力すると月の答えがでてくる。箱の側面のハンドルを回すと、動力歯車が起動して太陽の針が一年で一回りする。そして文字盤の第二の針が、天球にある月の位置を示す。ゆっくり進む太陽のおよそ12倍の速さで動きながら、横道12宮を回る

「何世紀にもわたる天体観測の結果が、まずは数学に変換されたあと、もう一度現実として作り出された・・・連動する歯車は、・・・コンピュータプログラムを連想させた」

こうして多くの人々、例えばヴァレリオ・スタイス(アテネ考古学博物館館長)、デレク・デ・ソーラ・プライス(科学史家)、マイケル・ライト(ロンドン科学博物館学芸員)らがこの機械の謎に挑んだ。

そして三次元CT断層写真とCGを使って解析を行ったイギリスの映画製作者トニー・フリースのチームがこの機械の断層写真を撮り、肉眼では見えない古代ギリシャ文字を解析した。

 

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アンティキテラの研究者の一人 アラン・ブロムリーと復元モデル(シドニー大学

 

フリースのチームは、2006年11月に彼らの研究を発表した。
それは、太陽、月、惑星の運行を明らかにし、月の満ち欠け、日食、月食の時期を求めるものだと世界に発信したのだ。
過去、現在、未来において天体の動きを自在に計算する「天界の機械式計算機」だったと。

高さ30㎝の木箱に納められた、全部で30ばかりの歯車から成る計算機。大きな破片は18㎝、一番大きな4本スポークの歯車は直径13㎝ばかりの大きさだ。ギリシャ人の技術は、「天界の法則」を30ばかりの歯車に載せて、その盤上に表現した。

誰が、何のために、こんな「あり得ない機械」を作ったかはまだ謎のままだ。
当時まだ存命だったと思われる古代最高の天文学者であったヒッパルコスが作ったのではないかとも、或いはヘレニズム期最高の賢者ポセイドニオスが作ったのではないかとも言われる。

ローマの雄弁家キケロの文献には、「最近ある機械を、友人ポセイドニオスが作り上げた。それは日夜天空に現れる太陽、月、五つの惑星の動きを、回転によって再現する機械だ」とある。

さらにキケロ他のローマの著述家は、アルキメデスが紀元前三世紀にシチリアシラクサで、同じような機械を作ったと書いている。

アルキメデスの発明は格別の称賛にあたいする。彼は、それぞれに異なる速さで、多様な動きを示しつつ回転する天体を、一個の道具で正確にあらわす方法を考え出した」

このキケロの文章の信憑性については、専門家の間でも未だ疑問が持たれているようだ。

古代バビロニア人は、国家の吉兆を占うために天空を観測した。規則的にめぐる季節や、時折り現れる日食や月食を、天空の星々の運行を観測し、その事実から法則を見出した。古代ギリシャ人は、その法則を数式にして歯車に実装したのである。

ギリシャ・ローマの文化は、十字軍を通じてルネッサンス期に再発見されるが、アンティキテラの技術は地中海60mの海底に埋もれたままだった。しかし当時のイスラム圏における科学技術の水準の高さは知られており、古代ギリシャのこうした知識はイスラムの国々に伝わったのかも知れない。

こうした技術を伝える文献が、未だ翻訳されずにイスラム圏の国々に眠っているのではと思うと、まだまだ過去へのロマンは尽きない。

【出典】
ジョー・マーチャント 『アンティキテラ 古代ギリシャのコンピュータ』 文春文庫 2011年11月