遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

一人になっても逃げよ

地震の揺れがおさまったら、一人になっても逃げよ、
家には戻るな、親が帰るのを待つな
(釜石小学校の子供たちは、いつもこう言われていた)

 

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2011年3月12日午前6時頃の釜石市
河北新報社『特別報道写真集』より)

 

今日の『NHKクローズアップ現代』で、3.11の津波から釜石小学校の184人の子供たちが全員無事に逃げのびたという話を放送していた。

学校が終わった後、子供たちはそれぞれ家に一人でいたり、友達と遊んでいたりしていたが、地震の揺れがおさまったあと、それぞれの判断で行動し逃げのびたという。

一人で家でゲームをしていた子は、親が帰ってくるのを待たず、
一人で高台へ走った。

目の不自由な祖母と家にいた子は、
逃げようとしない祖母を「逃げようよ」と何度も誘って逃げた。

避難の準備に手間取って逃げ遅れた兄弟は、ビルの屋上へ上り助かった。

野球部の仲間の何人かで逃げる時、
遅れ始めた義足の友人を背負って逃げた子もいた。

なぜ、そういう行動がとれたのか、という問いに、ある子は
誰も待つな、一人で逃げろ。一人になっても生き抜け
そう、親からいつも言われていたという。

一旦逃げたが、「戻ってはいけない」と分かっていても、祖母が心配で、
確認のため家に戻った子もいた。
海の事故で父を亡くし、もう家族は失いたくないという思いからだった。
が、家に祖母がいないことを確認して危うく津波から逃げたという。
後で、祖母に「お前が死んだら、母親に会わせる顔がない」と言われ、
その言葉が一番身にしみたと語った。

それぞれ異なる状況下で、一人一人が判断して行動したというのは、
命を守る主体性・姿勢が出来ていたと、TVでは言っていた。

子供は大人社会の反映だ。
子供たちが一人一人こうした行動がとれたのは、大人たちの影響を強く受けていたからなのではないか。

親から、そして先生から常に言われていた。

「一人になっても逃げろ」
「家には戻るな」
「家族を待つな」

津波てんでんこ』である。

そして、学校での避難訓練で身体に覚えさせる。

行政は、6メートルの津波を想定した「ハザードマップ」(被害想定エリア)を出していたというが、大人たちは「想定(ハザードマップ)を信じるな」とまで言っていたという。

この大人たちにして、この子供たち。
学校で「生きる力」を育むという教育目標があると聞くが、
これがその見本であるかのようだ。

子供たちは、「『とにかく逃げろ』と大人になっても伝えて行きたい」と語っていた。
ここに、生きた見事な教育がある。