遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

3.11 追悼から希望へ

人の一生てのは一回きりだ・・
楽しくないとか、悲しいことがあったから、
なんて言って、やり直せねえんだ。・・
みんな、一回きりの人生だ。・・

だから、何があっても、・・死にたいほど悲しくても、・・
それでも、それでも生きていくしかないんだ・・
なぜならそれが一度しかねえ大事な人生だからだ。
伊坂幸太郎 『オーデュボンの祈り』 新潮文庫

「未来」は…探し出すものなんだ。
「未来」は闇雲に歩いていってもやってこない。
頭を使って見つけ出さなくてはいけないんだ。
伊坂幸太郎 『ラッシュライフ』 新潮文庫

 

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ダ・ヴィンチ 『女の横顔』 ウフィツィ美術館 1472-1475年頃

 

一年が経った。
世界の人々は、あの黒い瓦礫の津波に衝撃を受けた。
スペクタクル映画のシーンのように、
田畑を黒く浸食する津波のTV画像を、息を飲んで見入った。

黒い濁流が、防潮堤や漁港を破壊し、家々を押し流し、田畑を覆った。
15、854人(行方不明3,155人※1)が、家で、路上で、車の中で、瓦礫に飲み込まれ犠牲となった。そして、いまなお343,935人※2が避難生活を余儀なくされている。
(※1;3月10日現在警察庁まとめ ※2;2月23日現在復興庁まとめ)

いまだ、津波に飲まれた町は、復興には遠い。
広大な土地は、家の土台だけを残して、曝されたままだ。
大量の瓦礫も一向に片付かない。

震災直後の多くのボランティアも去り、仮設に住む人も少なくなった。
原発放射能から逃れ、村ごと、町ごと避難した土地には住民は戻らない。
人々は、自分たちの故郷を原発に追われたのだ。

しかし、二重ローンや職探し、事業再興に苦闘しながら、
少しづつ人々は歩み始めた。

国家非常時にあって、国会議員が被災県を支援することもなく、
与野党協力して法案を成立させようともしない。

国難」とは思っていない政治家の無能に呆れ果てながらも、
結局、自分たちの運命は自分たちで決めていかなくてはならない。

復興庁は、「地元主体で」「地元に寄り添って」と言いつつ、
地方交付金申請の3倍もの書類を要求し、厳しいヒアリングをおこなって、
県の職員を疲弊させている。

なのに第一次の申請で、宮城県は57%の申請金額しか認められなかった。
知事は、怒りを込めて大臣へ抗議していた。
「郊外は瓦礫の山、(県)庁内は書類の山」と、県の職員に呆れられている。
これが「地元に寄り添った」国の行政なのだ。

しかし、それでも少しづつ人々は復興へ向けて歩き始めた。
政治や行政が何かをしてくれるのを待つことはできない。
沢山の問題を抱えていても、自分たちで動かなくては未来は閉ざされたままだ。
人々の長い戦いは、これから本当に始まる。

危機管理の出来ない政府や国会議員を、非難もしようが、
所詮、国を運営しているという意識のない者たちに、
国家の危機管理などできはしない。

肉親、友人、知人を失い、人々はたくさんの涙を流した。
放射能に土地や家を追われて、故郷を失った。
そして一方で、誰かが未来を作ってくれるわけではないというのも、本当のことだ。

死者たちは還らないが、一人一人の心の中に生きている。
私たちには、「喪失」を癒してくれる「時間」がある。

今はまだ、立ち上がるには辛い人もいるだろうが、
この「喪失」を抱きしめて、前を向き、空を見上げて、
これからの1000年を歩き始めよう。
それが、私たちが死者たちへ報いる道だと思いながら。

もうすぐ春、追悼の祈りを希望へとつなげよう。