三月の海から
水平線が厚く低い雲塊に消えて
三月の海は視界いっぱいに灰色だった
短い防風林を抜けた砂浜には
あの時と変らぬ波が、静かに寄せていた
狭い浜に、時間から取り残されたような岩に腰をおろし
海から吹きつける風を、正面から受けていた
あの日、白い砂と四つ葉のクロ―バの入った小ビンを
風に逆らって遠くに投げた
希望も絶望も、過去も未来も、力いっぱい遠くに投げたのだ
それは、しばらく波間に漂って見えなくなった
その日から長い年月が経った
小ビンが、浜に打ち上げられている錯覚に捕われたまま、
ぼくは長いこと佇んでいた
あの時投げ上げたのは未来であり希望だった
それを、長い年月の中で、受け止めることができただろうか
悔恨に満ちた過去も、傷だらけの絶望も、
新しい命に生まれ変わっただろうか
雲は、重く低く西へ動き、
風は、雪片を舞い上げ始めていた
浜に砕ける波だけが
きっと変らずに時を刻んできたのだろう
ぼくの胸に、何が刻まれてきたのだろう
希望とは無縁に、現実と向きあってきた日々
笑顔の幼子を抱いた時の儚さと愛おしさ
子供たちの歓声と足音に満ちていた時間
この波が、砂浜に時を刻んできたように
ぼく自身の時を、確かに刻み続けてきたのだ
祈りは通じたか、願いは届いたか
不安に満ちて見つめた未来は
まだ、この浜に打ち捨てられているだろうか
砂に埋もれて、誰にも拾われずにいるのなら
ぼくは、お前を連れて帰ろう
そして、長い喪失を取り戻すのだ
たとえそれが地球史の一瞬でも、
お前は、ぼくの喜びであり、悲しみだったから
だから、お前をここに残して帰れない
長い風雪に耐え抜いたお前は
きっと、ぼくに新しい勇気をくれるだろう
ぼくはもう少し先まで、歩いて行くことができるはずだ
(完)
(注)オリジナル記事の修正をしていますので、「はてな」Ver.となります。