遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

春 庭に現れしもの

選択に迷ったら、行うべき責務を考えよ。・・・
責務はここにある。
(FOXドラマ ギャラクティカ

今の努力だけが未来を切り開く。・・・
人は、生きているかぎり未来を持っている。・・・
たとえ幾歳になろうと、二度とはない人生の
大切な一部分を生きていることに変わりはないのだから、
胸に抱いた夢があるなら、そのために力をつくすべきだ。
藤本ひとみ 『皇帝ナポレオン』)

 

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ここに転居してきた初めての朝、あまりの「静けさ」で目が覚めたものだった。
夜遅く会社からの帰り道、バスのなくなる22時を過ぎれば、都会では決して見ることのない天の川が天空を流れていた。

東京から一時間以上かかるこの地には、まだたくさんの自然が残されていた。
団地の道路のあちらこちらに「ヘビ注意」の看板があり、走る自動車の間をキツネが慌てて国道を横断したりする。

、そして桜の季節を過ぎれば、街路樹の新緑がまぶしく、色鮮やかな植物が散歩する人を楽しませてくれる。クロッカスは終わったが、庭のラベンダーが色づいてきた。

ツバメが玄関の外の屋根に2つほど巣をつくり、ときどき子供のつばめが巣から溢れて下に落ちていたりする。近所の庭の木にはがさえずっている。

夏には小川の岸辺にホタルが飛び交い、庭の地面にある散水用の水道蛇口の鉄の囲い一杯に、20センチほどのガマガエルが涼んでいたりする。「ギャッ」と驚き後ずさったこちらの姿を、近くで小さなカナヘビがじっと見ている。
カマキリバッタトンボも、都会のそれより一回りも大きく、アゲハ蝶が悠然と庭先を飛び過ぎる。

化学薬品による自然破壊を告発したレイチェル・カーソンの『沈黙の春』の冒頭、「明日のための寓話」として書かれた前半の美しい自然描写ほどではないにしても、ここでは身近に自然は残っていて、春は決して沈黙していない。

ようやく訪れた穏やかな春の日の午後、リビングで本を読んでいた視界の片隅で何かが動いたかに思われた。思わず視線をあげたレースのカーテン越しに、何やらうごめく子犬ほどの小動物が庭の中をよろよろと歩いているのが見えた。
えっ?何?

リビングのガラス戸にそっと近寄り、観察すると、確かにネコでも子犬でもない何かがゆっくり動きながら庭の東端から中央へと歩いている。タヌキ
あわてて、ガラス戸とカーテンの間にそっと携帯カメラを忍ばせて、2枚ほど写真を撮った。あまり鮮明ではないし、正面からの顔も写っていないので、分かりにくいが、下記がその写真である。

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暫くして、再び庭の東端の方に消え、後を追って急いで外に出てみたがもう姿はなかった。

ヒバとツツジの生垣に囲まれた庭からは、容易に出入りはできないはずなのだが、生垣の外にも、姿は見えなかった。顔に白い筋のようなものが見えた気がしたので、ひょっとしてハクビシンだったかも知れない。
うららかな春の日に、かのものはいったい何を告げに現れたのだろう