自由の空と海へ
答えが返らないことを知りながら、
それでも「なぜ?」と問う
「問い」は繰り返し訪れる
現実解は、必ずしも心を満たすことはなく、
再び「なぜ」と問いかけてしまう
あてのない明日に、
不確かな過去に、
男も女も「なぜ」と問う時代に生きている
だから、問うことを恐れない
満足な答えが得られるとは限らないが
問うことををやめれば、
生きているとはいえないから
「問う」ことをしない人たちがいる
論理のないフレーズと文脈のない叫びだけが空しく満ちる反知性
「正義」「不正義」はこの世の「うら」「おもて」
「ウソは真実と同じ顔つきをしている」
それでも「不当は結局正直に勝てやしない」
そうやって無理をして、取り繕って生きてきて
「違法ではないが不適切な」財貨を手にしても
それで心は満たされているか
人生は、その手に軽やかか
初夏の風は、胸に心地よいか
「自由な時代に生きている」
何かの会話でそう言ったとき
ある人が「本当に自由ですね」と相槌をうった
半分からかい気味に、居住まいを正してその人に聞いた
「本当に君は自由か」
その人は、黙してしまった
私たちはこの惑星、この時代、この場所から
そして選んだ仕事からも自由になどなれない
人間の「業」と言うべき「なぜ」という呪縛からも
たくさんのものに制限され、捕らえられているからこそ、
束縛や制約から逃れたいと願ったのではなかったか
「なぜ、自由にものを言えば拘束されるのか」
「なぜ、そんな現象が生まれるのか」
そう問うことから
私たちは一つづつ、足枷をはずしてきたのだ
だから「問うこと」は、自由への入り口だったし、
希望への足掛かりだった
遠く水平線に縁どられた空の向こうへ続くのは希望
風を受けて、一人断崖に立ってみればいい
君に、世界をまるごと抱えて飛ぶ気概はあるか
欲望に満ち、不正義と理不尽がまかり通る世に、
それでも真っ当であろうとする勇気はあるか
ならば、君よ、覚悟して飛ぶがいい
創造と「自由」の空と海へ
(完)
(注)画像は「壁紙屋モグ」さんからお借りしました。