劉慈欣 三体
科学全般の発展は、基礎科学の進歩によってもたらされる・・
基礎科学の基盤は、物質の本質を探究することにある。
もしこの分野でなんの発展もなければ、科学技術全般において、
重大な発見や進歩がなされることはない。
(劉慈欣『三体』早川書房2019.7)
「三体」と聞いて思い浮かべるのは、「3つの天体が互いに万有引力を及ぼし合いながら行う運動」のことだというぐらいであった。その運動を記述する一般解は存在せず、いくつかの特殊解があるだけだ。
amazonで、劉慈欣『三体』早川書房(2019年7月)というSF本を見かけた。
中国語版だけで2100万部(三部作累計)の発行部数という。
・2006年 中国のSF専門誌『科幻世界』に連載
・2008年1月 単行本刊行
・2014年 英語版出版
・2015年 ヒューゴー賞長編部門を受賞(アジア初)
・2017年1月 オバマ大統領がインタビュー記事で言及し全米で注目
日本語訳もこれが最初ではないようで、語学テキストの部分訳もあり、最初の日本語訳を参照しつつ、並行して英語版からの日本語訳という手順で本書が出版されたようだが、新聞広告でも見た記憶がない。
こうした経緯で日本語訳発売が、単行本発売からモンモが知るまで、10年以上もかかったということになるが、どんな形であれ、不覚にもモンモのアンテナには検出されなかった。
中国のSFというとあまりピンとこない。かの国では自由な発想での言語表現には自ずと制限がありそうで、SFの豊饒な土壌が育まれているとはなかなか思えない、というのがベースにあるからなのかも知れない。許される小説の内容は政治とは全く無関係の内容のものか、政治的プロパガンダのようなもの、なのではないかという一種の固定観念があったのかも知れない。
読んでみれば、こうした懸念は全く無用であった。寧ろ理不尽極まりない文化大革命を背景にして物語は始まり、こうした政治状況への批判すら内包している。
経済的な豊かさと科学技術の発展を背景に、中国にこうしたスケールのSF小説が生まれたことは、寧ろ必然だったのではないかと思わざるを得ない。
SFたらしめている科学的基盤は、物理学・数学をはじめ、天文学、宇宙論、素粒子物理学、ナノテクノロジー、コンピュータ、分子生物学などだが、著者はそれらの今日的科学技術の進展状況を踏まえて、さらに将来の見通しと未来を著者自身の想像力で大胆に構想する。あるいは全く異なる科学的アーキテクチャを創造し、一貫した論理性のもとに物語を展開する。
そして、人類の歴史、哲学、その他すべての文化的生産物をその要素にしつつ、物語を組み立てていく。いわば、SFはその時代が生み出す、文明・文化のレベルを反映する「総合知」の様相を呈している。
この小説は、これまで人間が獲得してきた科学技術の延長線上の科学を背景にしているので、読者には受け入れやすいのではないか。但し、創造された物語としての構築物は、はるかに巨大なものだ。
系外惑星の知的生命体へ向けて発信されたメッセージが受信された。
そして地球へ返された驚くべきメッセージは、
「・・あながたに警告します。応答するな!応答するな!!応答するな!!!・・」であった。
その意味は?
通信は成功し、しかしコミュニケーションは誰かに独占されたとしたら?
地球は侵略されるのか?
一方で、三体恒星の不規則な運動下にある惑星の生存環境が、ヴァーチャルリアリティゲームで体験できるのだが、そこにはガリレオ、コペルニクス、ニュートン、アインシュタイン、始皇帝、墨子、フォン・ノイマンら歴史上の人物たちが現われ、主人公とともに、三体恒星の動きを把握しようとする。目的を達成できずにゲームオーバーするときは、その惑星の文明が滅びる。繰り返し、繰り返し文明は進化しつつ滅びる。こうしたゲームを作った者の意図とはなにか。
ゲームの中で、始皇帝の命令のもとで、フォン・ノイマンが作る3000人の人列コンピューターが現れる。論理積(AND)、論理和(OR)、排他的論理和(XOR)などの論理演算を、人間が旗を上げ下げして行う「計算陣形」には思わず笑ってしまった。
そして同時に、随分昔にモンモがプログラムで好んで使ったのも、これら演算と同じビット命令、そしてシフト命令だったと懐かしく思った。もうアセンブラー言語を書ける人は、絶滅危惧種になり果てているだろうが。
ともあれ、オバマ大統領がこの本に触れこう言っている。
「とにかくスケールがものすごく大きくて、・・これに比べたら、議会との日々の軋轢なんかちっぽけなことで、くよくよする必要はないと思えてくる」
地球に責任をもつアメリカ大統領が担う責任すら、ちっぽけなものと思わせる巨大な物語を、あなたも読んでみてはいかがだろう。ひょっとしたら、あなたにとって大きな問題も、ほんの取るに足りないものだと相対化されるかも知れない。
まあ、保証の限りではないが。
それでもあなたは、劉慈欣という巨大な知性の出現には驚きを禁じ得ないだろう。