2010サッカーW杯 プレトリアの死闘
やることをやって、もし負けるのなら、胸をはって帰れるはずだ。
(イビチャ・オシム)
昨年のサッカーワールド杯が終わって、多くの日本人選手が海外で活躍するようになりました。それも、昨年のワールドカップでの日本チームの活躍が、海外クラブチームの目を引いたからに違いありません。
私は、サッカーの熱烈なファンでもありませんし、サッカー事情に特に詳しいわけでもありませんが、一般的なスポーツ観戦が好きな一人として、遅ればせながら、この時の日本チームの活躍について記事をここに記載してみます。
個人的には、オシムジャパンを見たかったのですが、かないませんでした。
海外メディアも総じて、日本の戦いを高く評価していたようです。
「血を流すような戦い」(韓国;総合ニュース)
「汗の最後の一滴まで戦った」(英;インデペンデント紙)
サッカーワールドカップ、2010年6月29日南アフリカ、プレトリアの地で日本代表チームの戦いは終った。大会前の国際親善試合ではなかなか勝てず、サポータ、マスコミの強い批判を受けたが、今度はまるで「手のひらを返した」ような報道ぶりとなった。
PK戦でパラグアイに敗れたが、日本サッカーの歴史からみれば、日韓大会のベスト16の時とは違った意味で、重要な大会となったのではないか。
元代表のOBが、様々に試合を解説しているが、強くなっていくのに必要なのは、「経験」なのではないかと思う。パラグアイだって初めての8強なのだ。
「ドーハの悲劇」があったからこそ、ロスタイムの使い方を考えるようになったし、「ジョホールバルの歓喜」があったからこそ、日本のサッカーが世界の舞台に立てたのだ。そして日韓大会で、規律以上の何かが大事だと分り、ドイツ大会では予選での3戦を通して、「心の構え方」をいかにすべきかを学んだ。
長友の活躍は、体格に差があっても相手を抑えることができることを示したし、阿部もMFとDFの重要な連携を担い、「組織的な守備」の要となる戦術上の収穫をもたらした。
大久保の運動量は基礎体力の大切さを改めて認識させる。
中田英寿がかつて言ったように、「走らなければサッカーにはならない」のだ。
今回、日本は初めて、日本サッカーの重要なスタイルの要素を持ったのではないか。
それはオシムが持ち込んだスタイルがあってこそである。「弱者の戦い」とも言うべきだろうか。
「組織的な守備」は世界に通用したが、ボールを奪ったあとの展開、スピード・連携には課題が残った。
すなわち、「組織的な攻撃」を行うにはどうしたらいいか、ということになる。が、すでに新たなザックジャパンがこの課題に取り組み、その成果を示しつつあるのではないか。
或いは、オシムが市原のクラブチームで見せたような、全員で相手チームのディフェンスラインを破壊するようなスぺクタルな攻撃のスタイルもあるだろう。
この南アフリカでの「経験」を日本サッカーの遺伝子に組込んで進化していくことを願う。ともあれ、120分間の「研ぎ澄まされた」真剣勝負は感動的ですらあった。
本当の意味で、世界が初めて目にする「日本サッカー」を、人々は「プレトリアの死闘」として長く記憶に留めるに違いない。
【2010サッカーワールドカップ、岡田ジャパン全戦績】
2010.6.13 日本;1-0;カメルーン(長友のエトー封じ成功。得点;本田)
2010.6.19 日本;0-1;オランダ(優勝候補相手に健闘)
2010.6.25 日本;3-1;デンマーク
(決勝リーグ進出決定。得点;本田、遠藤、岡崎)
2010.6.29 日本;0-0;パラグアイ
(決勝トーナメント。120分で決着つかず。PK戦3-5敗退)