遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

内館牧子 終わった人

自分を仕事に合わせる。
(なんだかんだ言わずに、その持ち場で、工夫し、考え、頑張る)
小野次郎ミシュラン認定の三ツ星鮨職人)

「自分」を決めるのは他人だ。
装丁家 鈴木成一

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2年ほど前、大学時代の友人と旅行へ行った時のこと。
温泉の旅館で、皆でTVを見ながらおしゃべりしていたら、たまたまニュースで国政選挙のことをやっていた。
画面に映る何人かの顔を見ながら、「終わった人だよね、××も○○も」と言ったら、
カモネが「終わった人ね、フフそんな本があったよね」
「そうなの?」とモンモ
ヒロゴンが「オレ読んだ」
フジリンも「読んだ」
「えっ、読んでないのモンモだけ?」と、さすが皆さん読書家と感心してしまった。

旅行から帰って、ヒロゴンが「終わった人」を送ってくれた。

団塊世代およびその少し後の人たちが多く会社を退職するのに合わせたような内容の小説で、退職前後の状況、家族との関係、第二の仕事のことなどを描いたものだ。

メガバンクに入行し、それなりに順調に出世して、と思いきや関連会社に出向させられ、そこで定年を迎える。同期には本体の役員になるものもいて、主人公も自分の能力ならと思うものの、出向先での退職は不完全燃焼だと思っている。

退職後、妻ともうまくいかなくなり、しかし偶然知り合ったある会社の社長に誘われて仕事をし始める。が、突然社長が亡くなり、仲間に押されて社長を引き受けるものの、多額の負債を出して倒産してしまう。退職金も借金返済に充てざるを得ず、なんとも運の悪い状況となってしまう可哀そうな主人公。それでも、また生きがいとなりそうな仕事を見つけ、かつ妻との関係も良くなりそうなところで終わる。

この時代に、出世競争を目的に仕事をしてきた人がまだいるのかしら?
それが最初の読後感だった。
だって、100人を超える新入社員が多くいた企業の中で、役員や社長になれる人は一体どれだけいるかを思えば、仕事をするスタンスは、「仕事の内容そのもの」にあるんじゃないかと思うのだ。

入社後、自ら選んだ仕事と言うわけではないが、会社の都合で向き合わざるを得ない「たまたま出会った仕事の内容」に没頭し、予算を獲得し、上司を説得し、部下を励まし、パートナー会社のメンバーにも気を使い、知恵を出し合いながら多くのサラリーマンは、働いているのではないだろうか。
そうやって、自らの仕事に誇りを持ち、達成感を、そして時には失敗の挫折感も味わう。
大切なのは、いかに仕事と向き合って、困難と闘い、それでも仕事を楽しく、やりがいのあるものにする努力をしたのか、ということであり、もしそうやって退職を迎えるなら、自分に不完全燃焼を感じることも少ないのだと思える。

真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感
を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに
存在している。
つまりそれらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。
村上龍『無趣味のすすめ』幻冬舎

と、まあいかにも優等生的な感想になってしまうのだが、ヒロゴン、ごめん、この本は古本に売ってしまった。