パソコンの新環境構築
チューリングは、伝説によれば、
「物理的なコンピューターがものを考え、
人間のとらえどころのない知能を物質的な形で表現することができるか」
という問いを立てた。
・・・
「機械はものを考えることができるか」・・・
人間と会話して、
これは人間なのだと思い込ませることが出来れば、イエス、
そうでなければ、ノーだ
(アラン・チューリング)
(デイヴィッド・バーリンスキ『史上最大の発明アルゴリズム』早川書房2001年)
勝間和代さんが、パソコンが好きな理由を、以前こう述べていたのを読んだことがある。パソコン(コンピューター)は「自分を拡張してくれるから」と。
先輩のFさんは、携帯電話が世に現れた時、「これはコンピューターだ」と言った。そして、コンピュータの特質は「計算が速いこと」「大量に記録できること」だから、今に人間の脳にこれらのチップを埋め込んで、人間はサイボーグになると予言した。
人間がサイボーグになるにはまだ時間がかかりそうだが、仕事でも趣味でも、コンピューター(パソコン)は人間の能力を「拡張してくれる」ことはその通りだと思う。
そしてパソコンや周辺機器の進展があって、40年前に比べれば、身の回りの情報環境も様変わりしたと思う。これらの機器が一般に普及して、自分にあった環境を構築することが出来るようになったと言っていい。
筆者の場合2台のパソコンがあって、一台目は15.6型(Win8.1)、二台目は13.3型(Win10)。一台目はディスプレイとバッテリーに問題があるのだがまだ十分稼働する。
今日的なパソコン周辺機器を利用してこの一台目のパソコンを利用しやすい環境に構築したのでご紹介しましょう。
【PC使用上の問題点】
①「一台目のPC(PC1)」(Win8.1)のディスプレイが左上1/8~1/6くらいの範囲で黒い横線が多数入り、画面が見ずらくなった。
②パソコンPC1のバッテリーがもう交換時期を過ぎていてバッテリー稼働時間がほぼ無くなった。
③ディスプレイ及びバッテリー交換を行う費用が高額。
④パソコンPC1の主な用途は、画面が15.6型と大きいので、ネット動画や囲碁ソフトに使用し、また約1,500曲以上の音楽を納めているので、「娯楽サーバー」「音楽サーバー」とでもいうべきものになっている。
従って、ディスプレイは大型がよく、「二台目のPC(PC2)」(Win10)は13.3型の個人情報管理用なので全面的に移行するとディスプレイも小さくなり、音質も悪くなる。
⑤約1,500曲の音楽を聴くとき、プレイリストに曲を組み込んで連続再生する分には、ディスプレイはほとんど見ない。画面を見るのは、YouTubeからダウンロードした音楽動画を見るときくらい。なので、PC1のスピーカーでも悪くはないのだが、「音楽サーバー」を言うならもう少し音質のいいスピーカーにしたい。。
⑥Win8.1は2023年1月にサポート終了となるが、それまで3年弱使えること、サポート終了してもローカルに使う分には問題ないので、ダウンロードした動画、音楽、囲碁ソフト、などに継続使用可能。
⑦Win8.1のサポート終了後は、ネット動画はPC2で観ることになるが、音質と画面の大きさの2つの問題をクリアーしなければならない。
⑧台風などの災害時、停電になると固定電話、ネットワーク機器(光回線終端装置、ルーター)も使用不可になり、バッテリーのないPC1は使用不可。PC2もネットに接続不可。携帯の充電もできない。
【問題の解決方法】
①PC1のディスプレイの替わりに、モニターを用意する。
画面の小さいPC2でも使用することが出来る。
②PC1をモニターに接続して「音楽サーバ」として使うときには、PC1のディスプレイは閉じておけばいいが、操作する時にはまた開けてキーボード&マウスの操作をしなければならないので、ディスプレイを閉じたままで操作できるキーボード&マウスを別途用意する。
③PC1のディスプレイを閉じてしまえば、スピーカーもくぐもった音になり「音楽サーバー」としてはいささかレベルダウンするため、もう少し音質のいいスピーカーを用意する。これは音質の悪いPC2でも使用することが出来る。
④PC1のバッテリーは、災対時のネットワーク機器にも使えるように比較的容量の大きいモバイルバッテリーを用意する。が、これは後順位としていい。
【機器構成上の要件】
①機器が複数になるので、接続コードが増えないように極力コードレスにする。
②音楽を聴きながら、何か別のことをしている場合は、PC1「音楽サーバー」の位置は変えずに、スピーカーのみ持ち運びできるようなものにする。
③モニターを使えば、PC1のディスプレイは閉じるので、場所を取らないようにする。
【実際の構成図】
上記要件を満たし、問題を解決するための機器構成を下記のようにした。
将来、図の破線部分をバッテリー給電とすることで、電源ケーブルを不要にする。
この部分がコードレスになる予定。
実際の設置状況は下記のようになった。
(注)PC1は、パソコンスタンドに立ててモニターの左後ろに置いてある。
【今後の予定】
比較的容量の大きいモバイルバッテリーを2個用意する。
平時は主にPC1とサウンドバーに使用し、これらの電源コードをなくし、機器のそばに置いて給電する。
停電時、一台はネットワーク機器(光回線終端装置、ルーター)、固定電話に給電し、もう一台はPC2予備、携帯充電用にする。(PC1は娯楽用なので停電時は使わない)
新型コロナウィルスの春
今日は生きた。
でも明日になれば何が起こるか分からない。
そんな場所では人々は、
問題解決のアイデアを持たなければならなくなる。
(イビチャ・オシム元日本代表監督)
物事は悪化する。
(マーフィーの法則)
人は自分の生涯の中で、
ほんとに重大な時というものを自覚しないものである。
…そして、間に合わなくなってからきがつく。
(アガサ・クリスティ『終わりなき夜に生れつく』)
かつて、レイチェル・カーソンは『沈黙の春』の冒頭で、薬害によって小鳥の囀りも聞こえず、虫もいなくなった春の原野の静けさを流麗な文章で描き、薬害汚染を人類に警告した。
フランスのノーベル賞作家アルベール・カミュは、『ペスト』の中で、感染者が蔓延する危機的な状況下での人間の様々な所業を描き、小説の最後に、こうした人間の所業を思い出させるために「ペスト」は復活するだろうと予言めいた言葉を残した。
いま世界は、新型コロナウィルスで15万人以上の人々が亡くなり、日本でも感染者が1万人を突破した(2020年4月18日現在)。
海外からの出入国も制限され、首都圏だけでなく全国に緊急事態宣言が出されて、企業の生産活動は止まった。人々の外出は自粛が要請され、経済はリーマンショック以上の停滞を余儀なくされている。経済弱者がどこまで持ちこたえられるか、政治も対応が遅いと批判の向きも多い。
春の休日、観光地、ビジネス街、繁華街から人が消えた。
学校は休校となり、子供たちは自宅に籠っている。
桜の満開時でも花見客の姿はまばらで、うららかな春の日でも人々は遊びに出ない。
まるで街は「沈黙の春」のようだ。
朝7時前に家を出て、9時開店のドラッグストアーに並んでも、3月中旬以降マスクは手に入らない。
一般的なマスクの繊維の隙間は5μmで、ウィルスの大きさは0.02~0.1μmだから、マスクでウィルスのヒトへの侵入を防ぐことはできない。かろうじて医療用N95(※1)が、ウィルスを防ぐには効果的のようだ。
但し、飛沫の大きさは5μm以上なので、マスクをしている人の飛沫を外に出さず、外からの飛沫を防ぎ、飛沫の中のウィルスをある程度防ぐ機能はある。
だから、米国の政権内では国民にマスクをさせるさせないで大激論があり、結果はマスク着用を奨めると決めたと聞くが、それもウィルスの大きさとマスクの繊維隙間の大きさとの関係ゆえだろう。
※1;N95は0.3μm以上の微粒子を95%以上遮断し、空気の漏れ率を10%以下にする。この0.3μmとは、動力学的質量径(粒子密度を考慮した数値)であり、数量中位径(実際の粒子の大きさ)としては0.075μm。
ということでも、エチケットとして自分の飛沫を外にまき散らさないという意味で、マスクをすることは推奨されるべきだろうと思う。
しかし、手に入らない。いくら外出自粛でも、食料品や日用品を買いに出なければならないし、郵便局にも、免許の更新にも、定期的に近くの病院にも通院しなければならないから、マスクは必要だ。政府が1世帯2枚を配るようだが、それでは足りないし、いつ届くか分からない。
しょうがない。作るしかないではないか。
「100金」の店に、マスクの型紙が置いてあったので、作ってみた。
家族の使わなくなった水着、もらった新品のTシャツ、購入した水着生地(1m×1m)、ゴム紐(直径1.3mm)を材料にして作ったのが下記。
(写真左上;水着マスク)
型紙の大きさが子供用と知らずに作ったので大人用には少し小さめだが十分実用的。水着から4枚のマスクが作れた。
(写真右上;Tシャツマスク)
子供用の型紙を+0.5mm大きい輪郭にして大人用型紙を作った。Tシャツの布地は2枚重ねにして縫い合わせたので、中心部分は4枚重ねでの縫い合わせになった。Tシャツから7枚のマスクが出来た。
(写真左下;水着用生地マスク)
近くでよく見れば、手で縫ったゴム紐を通した部分の縫い目や、マスク上下の裁断面は慣れない素人が作ったとバレてしまうが、遠目には全く分からず、結構カッコイイのではと自画自賛している。
家族の話では、すれ違う人がチラ見して通り過ぎるような気がすると言っている。ある店の店員に「いいマスクですね、作ったんですか」と聞かれたらしい。
当分マスクは手に入りそうにない。
皆さんも作ってみてはいかがだろう。
自分の集中力と忍耐力を試してみてもいい。
(補足説明)
・マスクのインナー(フィルター)にはガーゼ又は「パイ」ガード(?想像して下さい)を使っているが、ハンカチを畳んで使ってもいいと思う。フィルターは市販されているが家にあるもので代用している。
ガーゼは使い捨てだが、マスク、「パイ」ガード、(ハンカチ)は洗って再利用。
・ゴム紐は、マスク一つに30㎝×2本なので、業務用20mを買った。
・ミシンがないので、家にあった糸と針で、全て手縫い。
・マスク1枚の製作時間;水着生地は約1時間。Tシャツ生地は約1時間30分。
・製作費;水着生地3000円、ゴム紐683円
・製作数;水着4枚、Tシャツ7枚、水着生地9枚(4月18日現在)だが予定は30枚で、合計41枚の予定。1日に2枚のペースで作っている。
・一枚当たりの費用;(3000+683)/41≒90円(水着生地30枚として)
41枚を洗って使用するから2巡目で論理的枚数は82枚になり、(3000+683)/82≒45円/枚。同様の計算で3巡目では、30円/枚となり使えば使うほどコストは逓減していく。
・使う頻度は、家族が週2回買い物をすると一年53週で106回、筆者が週2回の外出運動、通院で計10回で116回。合わせて222回の外出、他外出を含めると230枚のマスクを使う計算になる(外出自粛期間を1年として)から、単価は16円になる。(手洗いの水道代、洗剤費用、ガーゼ代等は含めていない)
amazonでマスクを調べてみると、50枚セットで1枚当たり62円から直近では30枚セットで1枚当たり146円になっていた。現在のところ、相場は100円/枚位らしく、日本は各国とのマスク争奪戦に負けているというニュースがあった。家族が言うには、コロナ騒動の前は1枚10~13円くらいだったらしい。
使い捨てマスク1枚100円として、230枚の購入費用は23,000円になる。そしてこれらは使えば再利用はできない。
(参考)マスクの型紙(子供用)
・大人用は「各辺を1.5㎝ずつ拡大」とあるが、この型紙の輪郭を+5mmにして描いて作ればいい。
「紙」という技術
こうした物語にすっかり心を奪われた彼は、陽が落ちてから明け方まで、
そしてまた夜明けから夕暮れまで、来る日も来る日も本に読みふけった。
寝不足と本の読みすぎのおかげで脳味噌は干からび、ついに彼は正気を
なくしてしまった。
ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』
コンピューターの仕事をずっとしてきたせいか、科学技術に関する本や雑誌をみると読んでみたくなる。新発売の家電製品の情報から始まり、ブラックホールをついに撮影したとか、新素材が発見されたとか、パソコンもついスペックを確認したくなってしまう。専門的な知識が深いわけでもないのに、科学技術の新しい知見がどんな分野のものであれ知りたくなってしまう。
「仕組み」とか「構造」とか、一つの法則、アルゴリズムに支えられたアーキテクチャーといったものに興味をそそられる。
宇宙・物理・数学・生命以外の広義の技術という内容で言えば、あまり多くの本を読んでいるわけではないが、以下のようなものを読んできた。むろん科学と密接に関係はしているのだが。
リストの最後にあるが、積読本の中から、マーク・カーランスキー『紙の世界史』(徳間書店2016年)を読んだ。最初は科学技術とはあまり関係のない内容と思ったのだが、副題に「歴史に突き動かされた技術」とあったので、「技術」という言葉に反応したのだと思う。
人間は言葉を話し、書き言葉を創り、最初は線描、絵文字そして文字体系を書写素材に書くことを始めた。その書写素材が、岩、粘土板、パピルス、木簡を経て最も書くのに適した紙が出来たということになるのだが、もとはと言えば、「話し言葉」「書き言葉」という言語の発明こそが「社会や歴史における機能形態や影響力はテクノロジーと似て」おり、いわば「初代のテクノロジー」なのだと著者はいう。
そして「話すという行為は、最後に紙という手押し車につながる車輪」だったと。
人間の知的探求と国家を運営するための官僚機構の創出が、「知識の普及や交易の拡大とあいまって製紙という技術を生んだ」。産業革命を経て手作業から機械に、書くほうも「印刷」「可動活字」「タイプライター」「ワープロ」「電子式プリンター」と進展してきた。
よく私たちは、「新しい技術が社会を変える」というフレーズを耳にするが、テクノロジーが社会を変えるのではなく、「社会のほうが、社会のなかで起こる変化に対応するために、テクノロジーを発達」させるという著者の言はそうだろうなと思う。
必要だから「書き言葉」を創り、必要だからその書き言葉を書写素材に残して伝達しようと思ったのだ。それに最もふさわしい書写素材が紙だったというわけだ。
コンピュータが一般的になっても、「ペーパーレス」にはならなかった。プリンターもなくならなかった。電子書籍によって紙媒体の本や雑誌・新聞の売り上げは落ちたとしても、基本的には、単に情報提供し読み捨てられる類の紙媒体が、電子媒体にとって替わられ易くなったに過ぎない。
コンピューターの特質が、「計算が速い」こと、「大量の情報を保存する」ことであるなら、この特質と「ペーパーレス」とは本質的には関係がない。
むしろ人間の情報環境が、より適切な媒体に移行するだけであり、より合理的な資源配分がなされているということなのだろう。その意味では、マンガ、新聞、情報誌はネット(電子媒体)へと移行し、従来の本らしい本は残ると筆者も思う。
紙をめぐって、中国、日本、アラブ、ヨーロッパ、アメリカ、メキシコと壮大な歴史が語られる。紙は人間の経済活動を支える媒体であると同時に、人間の知性を留め広げる媒体でもあった。ルネサンス以降の知の爆発を支えたテクノロジーだった。
ハイデガーは、『技術への問』のなかで、テクノロジーは「目的達成の手段」であると同時に「開示の方法」だという。すなわち、テクノロジーは、最初の独創的なアイディアを開示しているという。
その意味で、「紙」は、「最初の偉大な発明である書き言葉」を開示、つまりは「書き言葉」というアイディアを開示している媒体ということになる。
まだ技術に関する本で読んでいないものもある。「暗号」と「アルゴリズム」についての本なのだが、後回しになってしまっていた。そろそろ読んでみようと思う。
9度目の3.11
あの日から9年が経った。
時が過ぎ、世相が変わっても、必ずその日はやってくる。
あれから、人は海を見て何を思うのだろう。
失った家族、仕事、・・・すかっり変貌した土地で、
喪失感を抱えたまま、やり直さなければならなくなった人生か。
逝った人は還らず、歳月も戻らない。
それでも、重い一歩を踏みださねばならなかった。
未来には何の保障もなかったが、
あの時の、泥だらけの地獄のような世界を抜け出すために
顔を上げて、立ち上がらなければならなかった。
ある日、読んでいた本の冒頭に、天国へ旅立った人の想いを綴った言葉が記されていた。
私が行ってしまい
きみがここに残ったら・・・
知ってほしい
見えない薄いヴェールの向こうで
違う法(のり)にしたがって
私が生きつづけているということを
きみには私は見えない
だから信じるんだ
私は待っている
たがいに気づき
ともに、ふたたび、天駆けるときを
それまではきみにはきみの人生を思い切り生きてほしい
私が必要になったら
心のなかで私の名をささやくだけでよい
・・・私はそこにいる
(米ミネソタ州、詩人コリーン・ヒッチコック『アセッション』)
9年前、火葬が間に合わず、土葬の順番を待つ人々がいた。
彼らにとって、どんなに時が過ぎても、灰色の空の下で葬列に並んだ記憶は消えない。
そんな「悲しみの記憶」を明日への勇気に変えて、また次の一年を生きていこう。
それが、先に逝った者たちへの何よりの贈り物となることを信じて。
塩野七生の「歴史」から
兵站(ロジスティクス)を重要視しない司令官は、
戦場ではいかに勇猛果敢でも、勝利者には絶対になれない。・・
戦闘では勝っても、戦争には勝てないのだ。
頭脳も筋肉と同じで、使わないでいると劣化してしまう。
塩野七生『ギリシャ人の物語Ⅲ 新しき力』新潮社2017年12月
人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。
多くの人は、見たいと望む現実しか見ていない。
(ユリウス・カエサル)
歴史の好きな私には、毎年1冊づつ刊行された『ローマ人の物語』の15年間は、年に一度のイベントであった。以前から、著者の作品を読んできたから、ルネサンス、ヴェネツィア、ローマ、ローマ後の地中海、フリードリッヒ二世、十字軍、アレクサンダー大王で完結した『ギリシャ人の物語』を最後に、ほぼBC1000年近くからAC1800年を超える西洋史2800年を読みづづけて来たと言っていい。
(下記、筆者が読んだ著作一覧を参照)
この歴史読書の至福とでもいうべき時間を恵んでくださった著者に、心からの敬意と感謝を捧げたいと思う。
私と同じように、仕事で付き合いのあった人たちが、大型の分厚い本を抱えて通勤し、職場に来るのを見ると「ああ、私と同類がいる」と内心ニヤついていたものだった。しかし、それもアレクサンダー大王で終わった。
かけがえのない多くのことが私の中に残った。
それは、多くの人間たちの物語という形で、自らの人生を生きた男たち、女たちが、時代と如何に向き合ったのかを知ると同時に、時代が変わりこそすれ、人間の能力は同じであり、その時代環境に合わせた行動や考え方は異なったとしても、もし彼らが現代に生きていれば、現代人としても卓越していたであろうし、やはり傑出した存在だったのではと思わずにいられない。勿論人間である以上、過ちも犯したであろうが、歴史上の彼らが、現代に生きる我々と等身大の人間として身近に感じられたのは、ひとえに著者の力量ゆえだろう。
特に印象に残った人物5人を年代順に挙げれば以下になる。
アレクサンダー大王(BC356-BC323)
小アジア、中近東、エジプト、メソポタミア地方全域、ペルシャ帝国からインダス河以西までの東征を行い32歳の若さで死んだが、ヘレニズム文化の礎を築いたという意味で世界史に大きな影響を与えた。
ユリウス・カエサル(BC100-BC44)
『ローマ人の物語』全15巻のうちでも、彼を描いた2巻は、その白眉であろう。
現在の西欧の枠組みを創造した壮大な戦略、透徹した分析、書いては明快な記述、行動してはその果敢さ、判断力、リーダシップ、どれをとっても超一級の人物に、この本を通して出会えたことは何物にも代えがたい幸せだったと言えるだろう。
読者は、真の天才の考え方と行動に感嘆するのではないだろうか。
この2冊と合わせてカエサル自身が書いた『ガリア戦記』『内乱記』、トム・ホランド『ルビコン』(中央公論新社2006年)を読むといいだろう。
エンリコ・ダンドロ(1108-1205)
80歳を過ぎて第4回十字軍を扇動しコンスタンチンノーブルを陥落させ、略奪させたヴェネツィアの元首。
十字軍本来の目的を逸らし、あろうことか東方教会とはいえ同じキリスト教の都を攻め、略奪するとはあり得ないのだが、個人の思惑で歴史はかくも動乱に満ちたものになる。彼個人にとっては充実した晩年のつもりだったかもしれない。きっとラテン帝国の君主になりたかったのではないだろうか。
ジョナサン・フィリップス『第四の十字軍』(中央公論新社2007年)を参考文献にあげよう。
皇帝フリードリッヒ二世(1215-1250)
ナポリ大学を創り、政教分離を唱え、生まれてくるのが早すぎた開明的君主。一人ローマ教皇庁と対立し、破門されつつも全ヨーロッパの主人公であり続けた35歳の生涯にはただただ驚くばかりだ。
ラ・ヴァレッテ(1494-1568)
70歳にして、スレイマンの大軍からマルタ島を死守したマルタ騎士団の長。
劣悪な環境下、圧倒的な戦力差に「武器は己の気概のみ」と敵に立ち向かった迫力は忘れられない。
マルタの首都名は、彼の名に由来する。
アーンル・ブラッドフォード『マルタ島大包囲戦』(元就出版社2011年)を参考文献にあげよう。
彼らの人生は、困難との戦いであった。それでも、自分に正直に能力を尽くして生き抜いた物語を知るだけでも、凡人の私には沢山の勇気をもらったと思えたものだった。
ここでは「カエサルの長い手」を使おうと部下を走らせたり、職場でフリードリッヒ二世ならこの局面をどう切り抜けるのだろうと思いをめぐらすことも楽しかった。
スケジュールに追い詰められ、30人ほどの夕刻の会議で、メンバーに「今から徹夜しないと無理」と反対された時でも、リーダーたるものブレてはならじと、「いいんだよ徹夜しても」と平然と言い放って30分でケリをつけたことがある。カエサルのおかげだったかも知れない。「徹夜」と言った時の、メンバー一同のぎょっとした目が今でも忘れられない。
予算もない、要員もいない、スケジュールも後がない、「武器は気概のみ」と他部門のメンバーに土日出社させて、困難突破できたのもラ・ヴァレッテのおかげだったろう。
発売されては読み続けた塩野七生さんの著作に、長いサラリーマン生活を精神的に支えてもらったような気がしている。そして多分、一度読んだ本を再読するんだろうなと思いつつ、この記事を書いている。
全部とまでは言わないが、もしあなたに困難な状況が続いているなら、せめて『ローマ人の物語』の第4巻、第5巻のユリウス・カエサルを読まれんことを。きっと、たくさんの勇気を貰えると思う。お勧めの2冊である。
(私が読んだ塩野七生著作一覧と参考文献)
他にエッセイもあるが省略した。
「ジャック・ライアン」シリーズ
私は神に祈る、この館と、ここに今後住むすべての者に、
最高の祝福を授け給えと。
願わくは、
誠実な賢者のみがこの屋根の下で国を治めんことを。
アメリカ合衆国第二代大統領、ジョン・アダムズ
(ホワイトハウス入居にあたって妻アビゲイルに書き送った1800.11.2付手紙)
年末から本をまとめ読みしていた。
ダヴィド・ラーゲンクランツ著『ミレニアム6 上・下』早川書房 2019年12月
トム・クランシー著『日米開戦 上・下』新潮文庫 1995年12月
マーク・グリーニー著『機密奪還 上・下』新潮文庫 2017年4月
マーク・グリーニー著『欧州開戦 1・2・3・4』新潮文庫 2018年5月
マーク・グリーニー著『イスラム最終戦争 1・2・3・4』新潮文庫 2019年6月
今回は『ミレニアム6』、再読の『日米開戦』以外の本について書いておきましょう。
ご存じ『レッド・オクトーバーを追え』(1985年)以降のトム・クランシー著作の「ジャック・ライアン」シリーズは、2013年10月にクランシーが亡くなった後、マーク・グリーニーが引き継いで書いてきた。
米国で2018年8月にドラマ化(『CIA分析官ジャック・ライアン』)されて配信開始となったようだが、筆者はまだ見ていない。
CIAの情報分析官からスタートし、分析官の枠を超えた行動は、映画化もされているから、この小説の魅力をご存じの方も多いと思う。
ホワイトハウスを含め、CIA、FBI、国防総省などいわゆる「情報コミュニティ」の世界と、世界の平和を脅かすものたちとの格闘を描いている。もちろん、アメリカの正義とやらが主軸となるのだが、現場で働く者たちへ作者なりの敬意溢れる真摯な眼差しがある。
その国の崇高な価値を信じ、その為に公職に就いた者たちにとって義務を果たすとはどのようなことなのかを思い読んでいると、日本の出来事と対比してしまい、なんとも言えない気持ちにはなる。
勿論アメリカにおいてだって、この小説が描く世界はあまりに理想化されて描かれていることもあるだろうが、しかしそれでも、現実と対比されるべき理想像がなければ、わが身を鏡に映すことすらできないだろう。
その意味で私たちは、国家を動かす人々のあるべき姿の典型例をこの小説にみることも可能だろう。しかも、背景となる世界情勢は多くの部分で、現実と重なり合っているだけによりリアリティがある。
『機密奪還』
この小説は、「ジャック・ライアン」シリーズの外伝ともいうべき小説となる。
主人公は、民間情報機関「キャンパス」の工作員ドミニク・カールソー(ドム)。
彼のほぼ単独での冒険を描いたものだ。
世界には合法、違法の他にグレーな部分が存在する。合法であることに厳格であれば、犯罪者は逃れてしまうこともある。それが世界の平和にかかわる事態なら、平和に責任を持つ国家はどうするのか。
ここに、ライアン構想の民間情報機関「キャンパス」設立の動機がある。
その工作員ドムがインドで武術の修行中に、その師である元イスラエル国防軍大佐一家が何者かに襲われ殺されるところから物語は始まる。
ライアンシリーズの主要なキャラクターには他にジャック・ライアン・ジュニア、伝説の元CIA工作員ジョン・クラークなどがいるが、ドムもまた主要なキャラクターで、元FBI捜査官だが、何故か書類上の身分はFBIに残っている。
ハラハラ、ドキドキの冒険活劇は間違いなく読者をつかんで離さないだろう。
『欧州開戦』
原油価格が下落してロシアは経済的に追い詰められていた。
ロシア経済の下落は、ロシアを牛耳る者たちの没落でもある。自分たちが儲けるために国家の経済があり、それが上手くゆかなければ、彼らのコミュニティの長である大統領の地位も安泰と言う訳にはいかなくなる。
ある日、バルト海のリトアニアのガス貯蔵所が爆発された。ベラルーシからリトアニアを通ってロシアの飛び地への鉄道列車が何者かによって砲撃を受けた。そして、ロシア原潜がバレンツ海へ密かに出航した。
次々に起こる事件を「キャンパス」が追い始める。
果たして、ロシアの目論見は何か。
NATO軍は動かず、小国リトアニアはロシアの侵略を撃退できるのか。
ここに、ロシアとアメリカ・リトアニアの戦端が切って落とされる。
世界各地で関連がないと思われる工作員や軍人が襲われ始めた。
彼らのあまりにも詳細な日常が、なぜ知られたのか。
ISのテロリストが、アメリカに入り込み具体的なターゲットを狙って、次々とテロ事件を起こしていく。
情報漏れのルートを追うジャック・ライアン・ジュニアらキャンパス、アメリカ国内でテロリストを追うドムとアダーラ、新しいメンバーも加わって、真の黒幕を明らかにできるのか。
とまあ、ネタバレしない程度にご紹介したのだが、残念なことにマーク・グリーニー版の「ライアン」シリーズは、この小説で最後になるようだ。
通常、オリジナル作家の後を受け継いで書かれたものは、いささかレベルダウンするものだが、「ライアン」シリーズは、全くそれを感じさせない。
マーク・グリーニーがトム・クランシーの共著者として書いたのは『ライアンの代価』から3作、トム・クランシーが亡くなってからは『米朝開戦』から『イスラム最終戦争』まで4作を単独で書いてきた。
その筆力は、クランシーと遜色ない。ストーリーの展開はむしろグリーニーが上回っていると感じられる部分がある。恐らくこうしたことは稀有なことだろうと筆者には思われる。
マーク・グリーニー版は終了となるが、「ライアン」シリーズは他の作家で続くという。新刊が出たら、また読むんだろうなと思う。
最後に、「ジャック・ライアン」シリーズ著作一覧を載せておきましょう。
発行年は、日本での発行年です。
クランシーの他の(共)著作も多数あるが割愛した。
スターウォーズ『スカイウォーカーの夜明け』
いつだって、準備など出来なかった。
スターウォーズEP9『スカイウォーカーの夜明け』
シリーズの第一作目スターウォーズ『新たなる希望』(EP4)が上映されたのが1977年(日本公開1978年)、それから42年の歳月が流れ、『スカイウォーカーの夜明け』(EP9)で全9話が完結した。
上映順とストーリーの時系列が異なるので、改めて整理すると以下のようになる。
(〇内の番号が上映順、EP番号がストーリー順。第一部~三部は筆者による分類)
(第一部)
④EP1『ファント・ムメナス』1999年
⑤EP2『クローンの攻撃』2002年
⑥EP3『シスの復讐』2005年
(第二部)
①EP4『新たなる希望』1977年(日本公開1978年)
②EP5『帝国の逆襲』1980年
③EP6『ジェダイの帰還』1983年
(第三部)
⑦EP7『フォースの覚醒』2015年
⑧EP8『最後のジェダイ』2017年
⑨EP9『スカイウォーカーの夜明け』2019年
当初から、最初の作品は全9話の4番目に当るのだと説明されていた。でもまさか、9話全部が映画化されるとは筆者も思っていなかった。だからEP1『ファントム・メナス』が1999年に公開されたときには、本当に全部やるつもりかも知れないと嬉しくなったものだった。
日本では、とりわけ文学の世界で、「物語の喪失」が言われていた。きっとそれは、マネーゲームの後に続いたバブル崩壊によって二極化が進み、中間層が薄くなっていったことと無縁ではなく、その過程で、行き場をなくした精神が、狭く小さく先鋭化するしかなかったのだと勝手に解釈していた。
しかし一方で、文学の中では主流ではなかったであろうSFの世界で、栗本薫『グインサーガ』(全130巻未完、外伝22巻)や田中芳樹『銀河英雄伝説』(全10巻、外伝5巻)などのSF大河小説が書き継がれていた。
そう物語は、SFの中でしっかりと息づいていたのだった。
そして映画の世界、それもSFの中に、私たちは「物語」を見出すことになった。
『スターウォーズ』がそれである。
一つの映画がヒットすれば、その続編が作られる。二匹目のドジョウを狙うからだ。しかし、『スターウォーズ』は、初めから3作づつ3回の全9話と設定されていた。初めから映画のストーリーを、ジョージ・ルーカスがどこまで創り上げていたかは分からないが、42年以上をかけて一つの物語を創り終えたことはやはり偉業と言わねばならない。(最後の3作品の製作にはルーカスは関わっていない)
しかし、途中から観た人たちにとっては、単なる続編の映画だったという人もいただろう。それでも、やはりスターウォーズは伝説的な映画であると言わなければならないように思う。
アナキン・スカイウォーカーがダース・ベイダーとなる経緯を知らぬまま、テーマ曲とともに現れた彼の姿を初めて観た人は、きっと衝撃を受けただろう。それゆえに、ジョージ・ルーカスは、シリーズ第一作目(EP4)にダース・ベイダーを登場させたのだろう。
かくして、物語の伝説はここから始まったのだった。
スターウォーズ第二部 ダース・ベイダー(アナキン・スカイウォーカー)
そして今回のEP9『スカイウォーカの夜明け』は、全9話からなるスターウォーズ・サーガの最終章となる。
前作のクレイトの戦いで壊滅的打撃を受けたレジスタンスは、再起をかけて惑星エイジャン・クロスに逃れた。ファースト・オーダーを率いるカイロ・レンは、ファースト・オーダーの起源を求め、レイもまたジェダイの文書を手掛かりに、ファースト・オーダーの背後にいると思われるシスの拠点を探そうとしていた。
そしてレイ自身の驚くべき出自が明らかにされ、レイは自分が何者であるか知ることになる。フォースによるコンタクトの中でも戦いを続けるカイロ・レンとレイ、二人の決着はどのような結末を迎えるのか。そして、ファーストオーダーとは別の恐るべき勢力との戦いに、レジスタンスはどう立ち向かうのか。
『スターウォーズ』サーガは、いくばくかの寂寥感を伴いつつ、ここに終焉を迎えることになる。
自然のエネルギーに心を開き、それを受け入れよ。
バランスを保ち、フォースに身をゆだねよ。
怒り、憎悪、極度の不安に捕らえられれば、フォースの暗黒面に堕ちる。
悪もまたパワー、フォースの裏面でしかない。
善と悪、正と邪、専制と自由。
この分かりやすい二項対立に、勧善懲悪のストーリーを重ねる。
子供はこの映画を観て、「正しさ」は常に挑戦されることを知り、この世は必ずしも「真っ当」ではないことを理解し始める。
大人は、だからこそ「正しさ」や「自由」のために、試練を受けても「強く真っ当ではないもの」と戦わなくてはならないとわが身に言い聞かせる。
「レジスタンス」という火花を見るからこそ、必ず後に続くものが現れる。
彼らが戦うからこそ、自らも信じるもののために戦おうと思うのだ。
そうやって、試練克服の物語を自らに宿して、いくばくかの人生を生きていく。
できることもあり、できないこともあるが、せめて「レジスタンス」の焔を消してはならないと、自らを鼓舞することもあるだろう。
そうやって、それぞれの人生の内奥で、「スターウォーズ」の火種を守り続ける。
そんな人たちへ、私もまた挨拶を贈ろう。
「フォースと共にあらんことを」
オイラーの公式へ(2)ダランベールの判定法
科学技術がますます力を増している現代世界において、
数学はかつてないほどのスケールで力と富を生み、
進歩の原動力となりつつある。
そうであってみれば、数学という新たな言語を自由に操れる者が、
進歩の最前線に立つことになるだろう。
エドワード・フレンケル『数学の大統一に挑む』文藝春秋2015年
逃げ道の先は行き止まり。
本田望結;姉の真凜に言った言葉
今回は正項級数(一般項が正である数列の無限和)が収束するのがどんな時なのか、ダランベールの判定法という便利な方法があるのでご紹介します。これは、後にマクローリン展開が出てくる時にこれを利用することになるので、ここで述べておくことにしましょう。
(r=1のときは判定不能)
ということで、この判定法を使った例題を載せておきまましょう。
(注)一般項が負である数列の無限和は、一般項の「絶対値(>0)」の無限和を考えれば同様に判定できる。
佐藤賢一『ナポレオン①~③』集英社2019年
あなたは夢です。
ときに皆の救いであり、あるいは皆の希望です。
物語や神話でなく、実際に生きた人間のなかにあっては、
あなたのような英雄は本当に少ないのです。
ナポレオンの遺骸がパリに帰還したとき、セント・ヘレナでナポレオンの秘書だったラス・カーズの独白
佐藤賢一『ナポレオン③転落篇』(集英社2019.11)
佐藤賢一著『小説フランス革命』の最後の12巻目が発行されたのが2013年9月。
それから6年が経過して、続編ともいうべき『ナポレオン』全3巻が2019年11月までに刊行された。
ロベスピエールが断頭台に消えても、フランス革命は終わらなかった。
革命に反対し干渉するイギリスをはじめとする欧州諸国と、フランスは一人戦わなければならなかった。
フランス革命の後半をナポレオンは一人で戦い欧州を席捲し、結果的には敗れた。
しかし、本当にそうなのかな、と思う。
結局、王政復古となったナポレオン後のブルボン朝は、1830年の7月革命で倒れた。
数々の封建諸制度(アンシャンレジーム)を葬り、民法典など革命の成果を「自由、平等、博愛」の理念とともに近代にもたらし、封建制の桎梏から人々を解き放った人びとの一人にナポレオンは連なっている。自ら皇帝となりながらも、である。
16歳で少尉任官し、51歳でセント・ヘレナで死ぬまでの35年をフランス革命にその生涯を捧げた。
そして現代、自由世界に生きる私たちも、間接的にではあってもその恩恵の一部をナポレオンに負うていると言っても過言ではないように思う。
ナポレオンが1769年8月15日にコルシカ島に生まれ、1774年5月にルイ16世が即位してから、フランスは革命の只中に投げ込まれていくことになる。
ナポレオンも1785年9月に士官学校卒業後に砲兵少尉に任官(16歳)、以降フランスの革命とともに軍歴を重ねていくことになる。
コルシカ島の独立運動にかかわり、島を追われるが、砲兵少将として弱冠24歳の将軍誕生となった。ロベスピエールの失脚で逮捕されるも、王党派ヴァンデミエールの蜂起を鎮圧、その後ジョゼフィーヌと結婚し、1796年4月から二年弱のイタリア遠征でオーストリアとの戦争に悉く勝利を収めた。
ミュラをはじめとする部下たちの人物造形も生き生きと描かれ、読者は、英雄ナポレオンの冒険を堪能するだろう。
『ナポレオン②野望篇』(集英社2019.9)
フランスに敵対するイギリスに対して、インドとイギリスの通商路を抑える目的で、エジプト遠征を行う。
エジプト制圧、トルコ軍に勝利するも、アッコン攻略失敗、アブキールの海戦で英ネルソン提督に敗れる。
帰国後、1799年11月ブリュメール18日のクーデタで共和国執政に就任し12月に執政政府発足。
1804年5月帝政を宣言し、皇帝となる(35歳)。
1805年10月トラファルガーの海戦でネルソン提督の英海軍に敗北するも、12月のアウステルリッツ三帝会戦でオーストリア、ロシア同盟軍に勝利。これにより、オーストリア、南ドイツ16か国(ライン連邦)を従えることになった。
軍人から皇帝へ、権力の座へ上り詰めたナポレオンは、イギリスをはじめとする反革命勢力の国々と戦わなければならなかった。戦いに勝ち続けなければ、フランス革命もまた潰えるのだ。
『ナポレオン③転落篇』(集英社2019.11)
1806年10月プロイセン遠征、11月ベルリン勅令(大陸封鎖令)。
ロシア軍と三度戦い勝利し、1807年7月ロシアとティルジット和平条約締結。
1808年12月スペイン制圧。
1809年4月~7月再びオーストリアと戦い、10月ウィーン和平条約。
ジョゼフィーヌと離婚し、1810年4月オーストリア皇女マリー・ルイーズと結婚、翌1811年3月皇太子誕生(ローマ王の称号を与えられる)。
1812年8月~11月ロシア遠征失敗、これを機に各国が対フランス同盟を強化。
1814年3月パリ陥落。4月退位宣言。5月エルバ島へ追放。
1814年9月~1815年6月ウィーン会議
1815年2月エルバ島脱出、3月復位
1815年6月ワーテルローの戦いで、イギリス、プロイセンら同盟軍に敗北。退位宣言後の7月パリ陥落。
1815年10月セント・ヘレナ島へ追放。
1821年5月5日死去(享年51歳)
1830年7月王政復古後のブルボン王朝崩壊(7月革命)
1840年12月15日ナポレオンの遺骸パリに帰還(アンヴァリッドに安置)
ナポレオンの息子(ローマ王、ライヒシュタット公)
ナポレオンにはマリー・ルイーズとの間に息子(ローマ王)がいた。
智勇に優れ21歳で夭逝したが、メッテルニヒは彼をウィーンから出さなかった。
生きていればヨーロッパに多大な影響を及ぼしたであろうと言われた彼の遺骸が、ナポレオンの傍らに移されたのが1940年。
ナポレオンのパリ帰還の100年後のことである。
現代、私たちは英雄を見ることはほとんどないと言っていい。
少尉任官後の35年間をフランス革命に捧げ、反革命周辺諸国と戦い51歳で死んだ英雄の生涯を、読者は手に汗を握りつつ読むに違いない。
PCのドライブ構成とバックアップ
シンギュラリティとは、AIが人類の知能を超え、両者が融合する瞬間のことだ。
その瞬間が訪れたとき、いま生きている人々は・・・
つまりわれわれは古代人になる。
ダン・ブラウン『オリジン 下』角川書店2018
知りたがるのは才能に恵まれた証拠だ・・・。
才能がなければ、面白みがわからない。
だから、疑問が湧くこともない。
知りたいという気持ちも起こらない。
佐藤賢一『双頭の鷲』新潮社1999年
前の記事で、パソコンのケアについて書いた。
2018年1月に、急に一台目のPCが動かなくなって、急遽二台目のPCを買って対応した経験から、きちんとバックアップを取って、PCの動きがおかしくなったら好調時のシステムバックアップから復元する対策を講じておくべきと思った。
二台目のPCを買ってから10ヶ月も経ってしまったが、遅ればせながらPCのドライブ構成とバックアップをどのようにしたらいいのかを考え、一台目を含めて対応した。
今回の対応をするまでは、すべての個人データは外付けHDD(SSD)に保存し使用していた。
【考え方】
・ドライブ構成は、システムファイルと個人データに分けて管理できるような構成にする。(注1)
・定期的にシステムファイル(Cドライブ)のみバックアップを行う。
・トラブル時は、「Cドライブ」へシステムファイルを復元する。
・個人データは、システムファイルの復元に影響を受けない「Dドライブ」に保持する。
・エクスプローラー上の「ドキュメント」「ピクチャ」などの特殊ファイルは個人データが入るので、これらの場所を「Cドライブ」から追い出し、格納場所を「Dドライブ」に変更する。
・但し、個人データもPCが稼働しなくなった場合に備えて、個別にバックアップを取っておく。
・秘匿性の高い個人データは、セキュリティ上の観点から暗号化する。
(注1)システムファイルと個人データ
・システムファイル;OSに必要なプログラム、ユーザーアプリが格納されているファイル。
・個人データ;動画、音楽、画像、PDF、エクセル、ワードなどの個人用データ。
具体的なPCドライブ構成とバックアップの関係を図示したものが下記になる。
【準備】
・バックアップソフトに”AOMEI Backupper Standard"(無料版)をダウンロード。
・暗号ファイルを使って仮想ドライブを作るソフトに”VeraCrypt"(無料版)をダウンロード。(注2)
・システムファイルのバックアップ用に大容量外付けHDD4TB「HD-AD4U3」(BUFFALO)を購入。
・このHDD購入時は、1パーティションだったので、二台のPCのシステムファイルバックアップ用にそれぞれ別のパーティションを割り当てるため、パーティション分割を行った。(1パーティションに2つのバックアップ用フォルダーを用意してもいいのだが、作業ミスを回避するため分かりやすい構成にした)
(注2)仮想ドライブ;
”VeraCrypt"(無料版)をインストールして起動すると画面は英語だが、「Settings」メニューで「Language」を選択して「日本語」を選べばいい。「ボリュームの作成」で暗号ファイル(実態ファイル)を格納するドライブとファイル名を指定し、フォーマットすると、その暗号ファイルをエクスプローラー上のドライブ(仮想ドライブ)として、通常のファイルを置いて処理できるようになる。
フォーマットは100Gで30分ほどかかるので終わるまでじっと待つ。
仮想ドライブを使うために実態ファイルをショートカットにドラッグし、「仮想ドライブ」に割り当てる任意の「ドライブレター」を決め「マウント」する。暗証番号(20文字以上推奨)を入力すればエクスプローラー上に仮想ドライブが出現する。アンマウントすればエクスプローラー上の仮想ドライブは消えるので、暗号ファイル内のファイルは一切参照できない。暗号ファイルそのものを開こうとしても開けない。
【PC1(一台目のPC)Win8.1】
・主に動画、音楽などの娯楽用に使うPC。
・初期設定「Dドライブ」が50GBだったので、「ディスクの管理」を使って「Cドライブ」を縮小し、「Dドライブ」を拡張した。
・バックアップソフトで「システムファイル」(Cドライブ)を外付けHDDへバックアップ。
・ブータブルメディアは、PC1用のUSBメモリ(16GB以上)がなかったので未作成。
・「Dドライブ」に、バックアップ用の外付けHDDから個人用データを移した。
・「仮想ドライブ」の作成
「Dドライブ」には大きな領域を確保したので、ここに「暗号ファイル」を作った。
これを一つのドライブに見立ててエクスプローラー上の「仮想ドライブ」とする。
・個人データバックアップ用の外付けSSDにも「暗号ファイル」を作り仮想ドライブ同士でのファイル転送ができるようにした。
・エクスプローラー上の「ドキュメント」「ピクチャ」などの特殊ファイルの場所を「Dドライブ」に変更。
【PC2(二台目のPC)Win10】
・主にメール、ブログ作成、個人的情報管理を行うPC。ブログ資料、エクセル、ワード、PDFファイルを管理。
・購入時は「Cドライブ」のみだったので、「ディスクの管理」を使って「Cドライブ」を「縮小」し、新たに「Dドライブ」を作った。ここにバックアップしていた外付けSSDから個人データを移した。
・バックアップソフトで「システムファイル」(Cドライブ)を外付けHDDへバックアップ。
・Windowsが立ち上がらない場合に、バックアップソフトを起動するブータブルメディアをUSBメモリに作成。
・「暗号ファイル」を「Dドライブ」に作る予定だったが、領域が小さいので外付けSSDに「暗号ファイル」を作り、PC2内で「仮想ドライブ」として扱えるようにした。
・エクスプローラー上の「ドキュメント」「ピクチャ」などの特殊ファイルの場所を「Dドライブ」に変更。
PCの雑誌などを読みながらいろいろ方針を立てるのに時間がかかってしまったが、これでやっと通常の使い方ができるようになった。
バックアップ取得はスケジュール化はせず、ソフトのインストールやWindowsのメンテナンスのタイミングを見ながら、少なくとも2か月毎くらいに行おうと考えている。